2024年7月24日
~奄美大島見聞記・その2~
奄美大島の旅は、友人の小二田茂幸さんが経営する
「スタジオМ」に集う音楽仲間の「奄美で和み座」の
イベントに随伴、同行してのものでした。
スタジオМでのオープンマイク「和み座」は
毎月第二土曜日午後7時から9時まで、約10組の方々が、
音楽や語りなどのパフォーマンスを10分の制限時間内で披露する
演奏会です。
主宰、司会進行はシンガーソングライターの米山たか子さんです。
奄美では、アシビという名瀬市のほぼ真ん中にある
ライブ会場でのコンサートでした。
東京から10組、奄美の音楽バンド3組、そして、
トリは栄さんのテナーサックス。
私も5分ばかりお時間をいただき、「カタカムナウタヒ」を
謳わせていただきました。
到着した金曜日の夜の「奄美で和み座」は出演者が多く、
お一人一曲しか演奏できませんでしたので、東京組は
29日土曜日の夜、アシビと宿泊したホテルとの中間にある
音楽居酒屋「カエル」でのオープンマイク第二弾の
「奄美で和み座」となり、奄美の夜を堪能させていただきました。
宿泊したホテルは名瀬市の中心にある「ホテルウエストコート奄美Ⅱ」。
そこで三泊しました。
久しぶりでのホテル朝食は、パンとコーヒーを考えて、
ご飯のところを素通りいたしました。
あとで、「ケイハン」食べましたかと言われ、
「京阪って何?」という次第でした。
何も下調べもしないでの旅でしたので、
奄美名物料理が「鶏飯」で、農水省の郷土料理百選で、
全国第2位ということを観光案内カタログで知り、
翌朝は早速、「鶏飯」をいただきました。
お店や家庭での鶏飯料理はそれぞれに工夫をこらしたもののようです。
さっぱりした味で何杯もお代わりしたくなるものでした。
土曜日の午前は、栄さんの同級生の貴島さんの案内で、
世界自然遺産に登録された「金作原原生林」を散策しました。
貴島さんは自然遺産ツアーガイドの資格をもたれていらっしゃる方で、
約二時間、原生林を懇切丁寧に案内していただきました。
奄美固有種のルリカケスやアマミノクロウサギには
出会へはしませんでしたが、ヒカゲヘゴのジャングル、
亜熱帯独特の植生を体感できました。
そして午後は、貴島さんの案内で、
ご自宅近くにあります秋名地区公民館のホールで、
「かしこ」(ギター小二田さん、お箏ガンちゃん、
篠笛松尾さんのユニット)のコンサートと
地元のお箏のサークルとの交換演奏会でした。
この秋名地区は奄美の島唄が大切にされ、
季節ごとの行事も盛んで、お祭りには2万人もの
見物客が訪れるということでした。
その後、夜の和み座第2弾となり、翌日奄美の日曜日は、
ゆっくり街の散策で過ごしました。
月曜日に、音楽仲間を見送り、私の方は、
奄美稲作保存会への訪問となりました。
田んぼで作業しているという代表者の小池弘章さんを訪ねました。
名瀬市の北隣の龍郷町でイタリアンレストランを
経営されていらっしゃいます。
その仕事の合間に、無農薬での稲作に挑戦。
仲間の方々と耕作放棄地を借りて稲田の復活を目指されている方々です。
レンタカーを借りて、探し探して向かった先は、
なんと土曜日に訪れた秋名地区でした。
喜島さん車に同乗していて訪れていたのですが、
やはり、自分で運転しているのとでは見る景色も違うようで、
帰京してはじめてそこに気が付いたというテイタラクでした。
またそこは、西郷隆盛の流刑地であり、名所旧跡として
保存されているところでした。
約束の時間に遅れてはと、必死の運転でしたので、皆、素通りでした。
秋名の田んぼは奄美大島では唯一の平地で、
東京ドームの200倍くらいの耕作地ということでした。
しかし、稲作はほとんどなく、サトウキビやマコモが少し
栽培されているだけで、あとはガマやヨシの荒れ地のハラッパでした。
小池さんや仲間の方々は奄美出身ではなく、
地元からは移住者と呼ばれているようですが、
その子供たちにすれば、奄美が生まれ故郷となりますので、
豊かな田園風景が荒れ地になってゆくことを黙視できないことだったと思います。
私も地元町田市の三輪地区で、今年から、耕作放棄地をお借りして、
稲の不耕起冬期湛水多年化栽培を始めることができました。
多摩丘陵の一角に、昔ながらの稲田が存在する景色は心和むものです。
奄美大島に昔ながらの見渡す限りの稲穂の波がそよぐ風景の実現を
めざしていらっしゃる小池さんと、短時間ではありましたが
語り合えたことは嬉しいことでした。
奄美では多年化を考えるまでもなく、二期作、
うまくすれば三期作も可能と思います。
水も豊富のようです。農業では、ド素人の私ではありますが、
自給自足を目指していますで、
奄美の方々と農業談義、そして、太極拳談義などが近い将来に
出来ますことを祈って帰路につきました。〔O〕