2024年10月23日
【太極拳技解説】 「稲の多年化栽培」について
「稲の多年化栽培」について
小川誠先生は、現在、私が習っている
「無農薬・不耕起」農法(冬期湛水)の師であります。
草明先生の紹介で、3年前に「稲の多年草化栽培研修会」を受講しましたが、
その主宰者が小川先生です。
私はその受講と並行して芹ヶ谷で、お米作りを始めました。
竹林の管理を任されていたお宅の裏山と畑地を水田に代えました。
ほんの一畝(約30坪)ばかりの畑地を段々畑にして、
竹林から湧き出る沢水を取り込んで、
苗代造りから田植え、稲刈り、脱穀まで、
全て手作業で大勢の方々のお手を煩わせながらの稲作元年でした。
40年ほど前に、厚木市の温水に住んでいた友人と
その近くで米作りを二年ばかり行っていましたが、
すべて自分の手で行ったのが初めてということで「元年」といったわけです。
三年前、実りの秋を町田市内で迎えることができ、
多年化を目指そうと夢を膨らませていました。
しかし、地主さんからクレームがきてしまいました。
それは田んぼに張った水が地中にしみ込んで
住まいの裏の石垣を崩してしまいそうなので、
田んぼは止めてほしいというということでした。
もともと、竹林の管理と、沢に生息する平家ボタルを守ってほしい,
という依頼から始まった仕事でしたので、大家さんの希望が最優先であります。
また、蛍の保存に熱意を持たれていらっしゃったおばあさんが逝去され、
母屋の裏の竹林を含む広大な敷地が相続の問題で不動産屋の管理になってしまいました。
それで、町田での冬期湛水多年草化の米作りは一年でとん挫という次第でした。
この一、二年、どこかで農地を借りて稲作の実践ができるところはないかと
思案していました。
そんな折、今年の始めに小川先生の講習会の同期生から、
町田市の三輪町と横浜市緑区の寺家町との境に位置する
田んぼでの米作りのお話をいただきました。
小川誠先生の講習会は今年で五年目を迎えています。
それで、今期は5期生となりますが
その講習のサポートされていた方が急に都合が悪くなり、
お手伝い急募というお話をいただきましたので、2期生の私が手を挙げました。
それは講習会の片隅でもいいので、小川先生のお話を伺いたいと考えてのことでした。
そして、それは実践と理論の両輪で、
三輪の田んぼでの学びに役立てられればと考えてのことでもありました。
お手伝いのお話は今年4月から3か年の予定で、相模原の農地を借りて
畑作の実習を学ぶ「和み農」を受講した時に伺ったものです。
この主宰者も小川先生です。
受講の動機は食の自給自足から、くらしの基本を整えたいと、
東洋医学の道に進んでから、ずっと考えていたことによります。
農業ついては、まったくの素人ですので、機会があれば
農事専門家から学びたいと思っていましたので、
今、それが少しずつ実現していて寝る間も惜しい日々を過ごしているところです。
さいわい三輪寺家の田んぼも、中心の女性陣の活躍奮闘で、
脱穀終了し、11月早々の籾摺りを待つまでとなっています。
さて、稲の多年草化栽培とは何か。
前置きが長くなってしまいましたが、
長くなりましたついでに、まず、小川誠先生の著作をご紹介いたします。
『稲の多年草化最栽培』小規模自給農への新たな道
(地湧の杜 2022年4月1日刊)
著書のカバーに小川先生の至言が記述されています。
田植えはせず、
草取りせず、
肥料もやらず、
やることは水が入っていることを
確認することだけ、
そして、
穂が垂れたら、収穫する。
また、揮毫していただいた言葉を次に記します。
稲を愛し、
稲に感謝し、
稲と心を一つにする
小川誠先生プロフィール(上記著書より)
1953年生まれ
上智大学外国語学部ドイツ語科卒業の後、12年間自動車音響の
会社に勤務して、ドイツに4年間駐在。帰国後、有機農業の野菜
作りを4年経験する。並行して日本語教師として日本語を教え、
1991年国際交流基金より日本語教育専門家としてマレーシアの
マラヤ大学で4年、ドイツのケルン日本文化会館で3年日本語を
教える。ドイツから帰国後1998年に自宅で農業寄宿生活塾を開設
し、有機農業を中心にして不登校などの自立支援に従事。
2006年NPO法人畑と田ん環境再生会の設立発起人となり、初代
理事長、来る食料危機に備えて、市民と連携し、2008年市民からの
出資を得て合資会社大家族を設立して、以来専業農家として環境保全
型の米作りや野菜作り従事している。栽培面積は2,8ヘクタール。
現在、相模原市認定農業者連絡会会長。
以上、紙面が尽きましたので、次回にまた展開させていただきます。
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